物語なき国家は成立するか?
最近、ある本で「人間は外界を「物語」という型で認識するようになった」というのを読んだが、ハラリ氏が言う「国家はみな物語の上に築かれている」というのが、まさに核心をついていて、素晴らしい考察。
「国家」という巨大なものがどうして成り立っているんだろう、、と考えると、人々を結びつけるものは「物語」だと。
個人を結びつけるものは、家々の歴史だったり、家族の記憶だったり、小さな「物語」である。映画「ブレードランナー」のレプリカントたちも自分のアイデンティティを保つために「物語」を持ちたがる。
そして、個と国家を結びつけるものも、やはり、「物語」が必要なのだ。
日本は、天皇制=神話(古事記)という「物語」で成立している国である。2600年の歴史とアイデンティティを持ち、その依代が天皇という実在する形で存在している。強固な国家である。
全国に寺社が15万以上あるが、これはコンビニよりも多い数だ。日本はこの広い国土を2千年かけて、15万の寺社(当時は神仏習合)で「物語」を作ってきた。皆、家々で神棚を祀り、そうやって、「物語」の一部として生活し、国家が成立してきた。
共産主義は、とにかく、「物語」を徹底的に壊す。あらゆる宗教、民族、歴史を否定して、統一した思想、言葉、人民服、果ては人種まで粛清し、赤く染めようとする。押し付けられ、抑圧される。
共産国家におけるアイデンティティは存在しない。ただ、システムが回っている。
つまり、システムの一部として「個」がある訳で、個人の歴史、物語が表層に出てこない。なので、現代文学は生まれない。
それでは、中国、ロシアのような、「物語」なき、アイデンティティなき国家がどうして成立しているかというと、これは、ギリギリのところで保っていると言わざるを得ない。
ギリギリのところで保たないといけないから、メディアやSNSもコントロールしないといけない。嘘で塗り固めて、恐怖で統治するしかない。
プーチンも近平も、自分が神話になれなければ、その先には未来はない。
しかし、「物語」は、恐怖と暴力を与える側からは決して、生まれない。もし作られるのであれば、それは、強者の論理で都合良く作られた「偽の物語」である。
「偽の物語」で国家を成立させることはできるだろうか。
ハラリ氏の言う通り、プーチンは既に敗北しているのである。