JKは電気羊の夢を見るか?

映画「ブレードランナー」の中で、レプリカントと呼ばれる人造人間たちが、写真を撮り、それを何よりも大切にするシーンがある。とても印象的なシーンである。

レプリカントは、工場で生産され、奴隷労働に従事し、使い捨てられて死んでいく。彼らは、バイオテクノロジーにより造られた人造人間だが、知性も感情も悩みも、人間とは変わらない。人間との違いは「4年の寿命(安全装置と呼ばれている)」である。家族を持たない彼らは、その短い時間の中で、仲間と写真を撮り、いつも持ち歩き、それを眺め、大切にするのだ。

もし、過去の思い出を全く持たない人がいたならば、正常な精神を維持できるだろうか。アイデンティティを保てるのだろうか。人間が持つ切実な問題を、レプリカントも抱えており、映画の中で描かれている。レプリカントは、写真(過去)により、正常な精神(ロボットではなく人間らしさ)を維持しようと試みているのである。

映画の中で、レプリカントたちは反乱を起こし、自分たちを作ったメーカー(創造主)に会いに行く。「I want more life, Fxxker」、「メーカは商品の改良をしてくれるんだろう?」と言い、開発者に迫る。そして、寿命を延ばすことが不可能だと知ると、開発者を殺してしまう。まるで、我々が80歳そこそこの寿命に不満で、神に会いに行き、神を殺すかのように。

ブレードランナーはSF映画の金字塔であり、長年、様々な議論を巻き起こしてきたが、一番大きいのは、「人間が持つ悩みをレプリカントをメタファーとして表層化し、テーゼとしたこと」であると思う。それを美しい世界観で見事に結実させたのである。

話は変わり、渋谷のマクドナルドで、隣席の女子高生が綺麗にファイルされたプリクラ(おそらく数百枚はあっただろう)を1枚1枚めくりながら、独りで思い出に浸っている光景に遭遇したことがある。その光景を見て、JKは、レプリカントと似ているのではないかと考えた。

つまり、家族との関係が希薄になり、自らのアイデンティティを保つために、友人たちと撮ったプリクラを後生大事にするのである。レプリカントとは違い、人間の寿命は長い。しかし、正常な精神を維持するために、自分が何者であるかを認識するために、「過去」は必要であり、それを定着化させたものが「写真」なのである。

そのように「写真」というものを捉えると、なぜ、人類がここまで記憶や記録を重要視するのかが、理解できる気がする。ブレードランナーで表層化した問題を、現代社会の思わぬところで確認できたのである。


TOMOYUKI TAKANO

大学では数学、大学院では経営学を学ぶ。都内のメディア企業勤務。作曲家、ピアニストとしても活動中。興味の対象は、現代音楽、現代詩、美学、民俗学、史学、社会学、宗教学、数学、AI、データサイエンスなどなど。アンダーグラウンドからカッティングエッジ、過去から未来まで全て見たい。

シェアする